路面電車の走る街(後編)2021年02月24日 20:08

「後編」は、前編で決めた「ふたつの条件」のうち「ひとつだけあてはまる」を対象にします。


東京都交通局(東京都)
「都電荒川線」は、元は路面電車の「都電」ですが、車両が高床なので「後編」に回りました。
王子駅付近や荒川車庫前のあたりは道路上を走っていますし、電車は1両なので、ほぼ「路面電車」です。




東急世田谷線(東京都)
東急世田谷線は低床車両ですが、「道路上を走る」区間がありません。
元々は路面電車「玉川線」の支線なので、駅のつくりは路面電車と同じ、線路わきにある信号機は、路面電車用の黄色の↑と×です。
以前は「古い電車ばかり」でしたが、新型車両に置き換わって20年になりました。




江ノ電(神奈川県)
江ノ電は江の島のあたりで道路中央を通ります。
ここは山と海にはさまれたところで、道路上を走るしか電車を通す場所がないです。
4両編成の電車が狭い道をゆっくり走ります。





京福嵐山線(京都府)
京都の四条大宮から嵐山に至る「嵐山線」も、途中に道路中央を走る区間があります。
途中に道路から乗降する「駅」があります。
車両は「1両編成」で路面電車っぽい雰囲気はありますが、普通の高床車です。





京阪京津線、大津線(京都府、滋賀県)
京都の「三条」から滋賀県の大津までの路線(京津線)と、琵琶湖の西岸を走る路線(大津線)です。
京津線の三条から蹴上までの路面区間は市営地下鉄になって廃止されましたが、浜大津駅の周辺には道路中央を走る区間があります。
大津線は小型電車の2両ですが、京津線は地下鉄に乗り入れる4両編成の電車が道路中央を走ります。




筑豊電鉄(福岡県)
東急世田谷線と同様に路面電車の区間が廃止されて、「道路上を走る」に当てはまりませんが、路面電車タイプの車両が走っています。





名鉄岐阜市内線。美濃町線(岐阜県、廃止)
岐阜にも路面電車が走っていました。
名鉄はがんばっていましたが、沿線自治体の協力が得られず、廃止になってしまいました。



路面電車の走る街(前編)2020年12月22日 19:40

今月と来月の2回に分けて、「路面電車の走る街」の写真を紹介していきます。
まず「路面電車」の定義ですが、今月分は「次の2項目の両方にあてはまる」としました。
 (1) 路面電車タイプの低床車両が走っている
 (2) 道路上を走る区間があって、道路上から乗降する「停留所」がある

札幌市交通局(北海道)
札幌市の中心「すすきの」を起点、終点として周回コースになっています。
以前はU字形でしたが新しい線路を建設して丸くつながりました。
「すすきの」のあたりは繁華街ですが、離れていくにつれて郊外の雰囲気になっていきます。





函館市交通局(北海道)
函館市は古い建物も多く、路面電車が似合う街です。
雪が降ると札幌と同様「ササラ電車」と呼ばれる除雪車が出動します。




万葉線(富山県)
富山県には路面電車が2か所で走っています。
高岡市は「加越能鉄道」でしたが赤字続きで第3セクターの「万葉線」に引き継がれました。




富山地方鉄道(富山県)
富山市は「富山地方鉄道」の路面電車が、富山駅の南側を走っています。
富山駅の北側には、「富山港線」を改築した「富山ライトレール」がありましたが、北陸新幹線で富山駅が高架になったスペースで駅の南北の路線がつながって、まとめて「富山地方鉄道」の路線になりました。
ここでは「富山地方鉄道」「富山ライトレール」それぞれの写真を紹介します。





福井鉄道(福井県)
福井には「福井鉄道」があって、福井市内の一部区間が路面電車です。
途中から普通の鉄道路線に変わるので、かつては電車の車体に折り畳み式の階段がついていました。
まは路面電車タイプの低床車両が全線を通して走っています。




豊橋鉄道(愛知県)
豊橋駅から北側には豊橋鉄道の路面電車が、南側には同じ豊橋鉄道の普通の電車が走っています。
最新の低床車のほか、都電や名鉄の譲渡車も走っていて、路線は短いですが車種は豊富です。




阪堺電気軌道(大阪府)
大阪の天王寺・あべの橋(あべのハルカスのすぐ下)から堺まで、南海本線と並走する路線です。
定期運行される電車では日本最古参、1925年製の「モ161」がまだ現役です。





岡山電気軌道(岡山県)
岡山駅前からの路線です。
アニメのキャラクターを模した車両とか、走っています。



広島電鉄(広島県)
広島市は、日本では最も路面電車が活発です。
メインは広島駅から宮島まで広島市街地を通って結ぶ路線ですが、ほかにも多数の路線があり、メインストリートではたくさんの車両が列を作って走る様子を見ることができます。
車種も豊富で、胡町の歩道橋から電車を眺めていると時間の過ぎるのを忘れます。




伊予鉄道(愛媛県)
伊予鉄道は路面電車つ普通の鉄道の両方を運行しています。
JR松山駅から近い「大手町」では、日本ではここだけ!の「路面電車と普通鉄道の平面交差」があります。
路面電車が踏切待ちをしている前を、大型の電車が横切っていきます。




とさでん交通(高知県)
以前は「土佐電鉄」でしたが、第3セクターになって存続しています。
高知駅前には、日本ではここだけ!の「路面電車どうしの十字クロス」があって、直進のほかどの方向からも右左折ができるようになっています。
高知市の市街地だけでなく、街から外れたところも走ります。




長崎電気軌道(長崎県)
長崎市も路面電車がにぎわっています。
有名な観光地を結んでいるので、長崎観光のときには欠かせません。
広島と同様に、次から次へと電車がやってきます。





熊本市交通局(熊本県)
熊本の路面電車は先進的で「低床車両」などの新しいものは最初に熊本で走っていました。




鹿児島市交通局(鹿児島県)
最南端の路面電車です。
今は鹿児島まで新幹線で行けるようになったので便利になりました。

上田交通「クハ290」Nゲージ模型を作る2020年10月27日 12:05

10月14日は「鉄道の日」なので今月は鉄道の話題です。
かなり前の話ですが「上田交通クハ290」のNゲージ模型を作りました。
最近見た鉄道模型の本に「東急5000系」の記事があったので、「まだ売ってるし、作る人もいる」ということで(ちょっと強引ですが)記事にしてみました。


元々はグリーンマックスの「東急5000系キット」を使います。
前後左右と屋根、床がバラバラの状態で入っているので、プラモデルの要領で組み立てます。
そのまま作るとこんな感じ・・・長野電鉄2500系です。


このキットには先頭車しかないので、運転台部分を切り落として、同梱されているパーツを使って「中間車」に改造します。
左右の壁と屋根板を直さないといけないのでそれなりに手間がかかります。


そこから「クハ290」にしていきます。
運転台のない側は貫通路をふさぎます。
先頭車を中間車にするときに使うパーツが余っているので、それを使って開口部を埋めます。
実物の「クハ290」も車体側面にあった窓をはめ込んでいるので、同じです。
平らになるように整形します。


運転台のあるほうはちょっと手がかかります。
まず運転席の横の窓は小さいので、横幅の半分を「プラ」板で埋めて窓を細くします。


前面は3枚窓ですが、左右はもとからあった窓の桟を取り除くだけにします。
真ん中は貫通路の開口を利用して上下をプラ板でふさぎます。
平らに整形します。


ヘッドライトは適当な余りパーツをくっつけて、ようやく車体が完成します。
実物の車両とは細部が違いますが、「それっぽい・・・」でいいことにして、これ以上は追求しません。


塗装は車体が「小田急アイボリー」「横須賀線の青」、前面の窓枠を実車に合わせて黄色に塗って完成です。
反対側もそれっぽくなりました。



別に作ってあった「モハ5250」には箱根登山鉄道の動力を組み込んでいますので、連結すれば走ります。



東急5000系のキットはまだ売っているみたいです。
お手軽に先頭車2両を組んで各地の譲渡車両にしてもいいですし・・・


ドア窓を拡大して「初期型」にしてみてもいいですね。


ちょっと懐かしい「5000系」時代の上田電鉄2020年06月28日 21:04

少し前に「長野電鉄」を出したので、今回は「上田電鉄」です。
上田電鉄は長野県上田市にあるんですが、東急電鉄の創始者の五島氏がとなりの青木村出身ということで、東急の電車が走っています。

1990年代の「5000系」が走っていたころです。
東京で乗ったことがあり、懐かしい車両でした。

別所温泉の駅には、当時は2本の列車が止まっていました。


5000系の前に走っていた「丸窓電車」が保存されています。
当時は2両ありましたが、うち1両は別の場所に移されて、今は1両だけ置かれています。
この「丸窓電車」の車番は「5251」「5252」「5253」で、写真に写っているのは「5252」うしろは「5251」です。
みどりの5000系といっしょにやってきた東急のステンレスの電車は元々「5200系」だったので、偶然同じ番号の「5251」になりました。



ちょっと離れた山の上から。
ここは有名な撮影地です。



別所温泉の隣の「八木沢駅」は古い木造駅舎と簡素なホーム、古い電車が合っていました。
今の電車はステンレスなのでピカピカで、きれいすぎてこの駅には似合わないかも。




下之郷駅ではステンレスの「5200系」と、みどり色の「5000系」との交換です。
この車両は「日本初のステンレス電車」で「湯たんぽ」のような外観が特徴的です。
1両は今も下之郷駅で倉庫として使われていて、もう1両は東急電鉄が保存しています。


ここには丸子行のホームの跡があります。
駅からすぐの「生島足島神社」の雰囲気が好きなので、今でもよく行きます。


最後は、現在復旧工事中の「千曲川の赤い鉄橋」です。




写真にはありませんがトップナンバーの「5001」が上田にあり、東急に里帰りした後で、今は渋谷駅のハチ公前広場に置かれています。
NHKのニュースでよく映ります。

信越本線の廃止区間「横川~軽井沢」2020年05月27日 22:56

1997年の長野新幹線の開業と引き換えに、信越本線の「横川~軽井沢」間が廃止され、「軽井沢~篠ノ井」が「しなの鉄道」に移管されました。
今回は少し・・・というよりとても懐かしい、この区間の写真を紹介します。

東京から遠くないこともあり、廃止直前はすごい人出でしたが、その数年前まではそれほどでもなく、夏休みとかでない限りは静かでした。

いまでも国道18号線の旧道を進んでいくと、ところどころにアプト式時代の遺構を見ることができます。

軽井沢から順に横川に向かっていきます。


まずは軽井沢駅。
駅の南側に「軽井沢プリンスホテルスキー場」があり、その山頂から軽井沢駅を眺めることができます。
特急「あさま」が補機(「補助機関車」のことです)のEF63を連結して、行き来しています。
まだ、ショッピングセンターはありません。



次は軽井沢駅から少し横川寄りに進んだ、通称「矢ヶ崎の踏切」です。
今はもう、この踏切はなくなって、近くに立体交差のトンネルができました。
この区間にわずかだけ設定されていた普通列車は、いまも「しなの鉄道」で現役の「115系」3両編成で、そこに2両の機関車を連結して、横川に向かいます。
この日は3両編成を2本つないだ6両でした。



最初のトンネルに入るとき、その上を国道18号線が横切ります。
ちょうどそこに駐車スペースがあり、トンネルに入っていく列車を上から見ることができました。
撮影のタイミングとしては難しいです。




この横川~軽井沢間は最初は「アプト式」の単線の線路がありました。
単線だったころ、中間の「熊ノ平」という場所に、行き違いを行うための「信号場」が設けられ、のちに「駅」になりました。
新しい複線の線路ができてから行き違いは必要なくなりましたが、この信号場は線路が水平なので、峠を下る横川行きの列車はここで一息、峠を上る軽井沢行きの列車はここで勢いをつけて進んでいました。


駅があったころ、秋の紅葉はとてもきれいでにぎわっていたようです。
ここは唱歌「もみじ(♪秋の夕日に照る山もみじ~)」の場所です。


横川に向って進んでいくと、最大のビューポイント「めがね橋」です。
明治時代にレンガを積んで作った橋が、今も残っています。
新しい線路は「めがね橋」のさらに奥のほうに、コンクリートの橋がありました。



このレンガの「めがね橋」は、今は観光スポットとして整備されていて、横川からここまで歩いてくることができます。
撮影した当時は橋の下から「けもの道」のようなところを歩いて登りました。
今はここに登る道も整備されています。

めがね橋の上から、軽井沢に向かう特急「あさま」を撮影しました。
橋が傾いているように見えますが、これだけの「急こう配」ということです。


この場所に上り下りの列車が並ぶタイミングがあるみたいで、列車がぴったり並んだ写真をみたことがあります。

もうひとつは「機関車の回送」です。
この区間を走れる機関車は決まっていて数も限られているので、上り下りの本数のバランスを合わせるために回送列車が走っていました。
この日は「EF62」を先頭に、2両の「EF63」をつないだ「三重連」がやってきました。




上野行きの列車の車窓にゴルフ場が見えてくると、最急こう配の区間は終わり、横川までもう少しです。
今は温泉があり、そこまではトロッコが走っています。

もう少し行くとレンガの建物が見えてきます。
アプト式の時代に変電所があった「丸山」です。
今はきれいに整備されているようですが、撮影した当時は廃墟のようになっていました。
ここは線路がちょっとカーブしているので、いい雰囲気の写真が撮れました。
横川駅にも近いので、臨時列車が来るときはいつもにぎわっていました。


とくに客車列車のときは機関車が3両つながり、後ろの客車まで青色が揃いました。

もちろん、いつもの特急「あさま」も、いろんなアングルで撮影できました。



丸山変電所の前のカーブを過ぎると横川までは直線区間です。
途中に小高い丘があり、丸山変電所の建物を入れて、気軽に撮影できる場所でした。



機関車を3両つないだ客車列車も、特急「あさま」も、レンガの丸山変電所まで全部、ぴったり画面におさまります。


この丘からもう少し横川側に下ると、こんな感じにオーソドックスな写真が撮れました。
ここまでくると線路の勾配はゆるくなり、見た目水平のようになってきます。
旧線もこの辺りは「アプト式」ではなく、普通の線路でした。



横川駅。
今は山の中の行き止まりの小駅ですが、軽井沢までの線路があったころは多くの機関車が行き交い、列車が来るたびに連結、解放が行われました。
この待ち時間に「峠の釜めし」を買うのが、旅の楽しみでした。




横川駅から切り立った岩山が見えますが、ここの山には登ることができます。
途中には「鎖場」もあって険しいコースですが、丸山付近から横川駅までを見渡すことができるビューポイントでした。
この地図の場所は正確ではないかもしれません。



長野新幹線が開業してからもう20年以上過ぎました。
新幹線は金沢まで伸びて、開業時の車両はもう走っていません。
最後の写真は長野駅で撮影した、開業時の「E2系」と現在活躍中「E7系」の並びです。




この区間の思い出としては「峠の釜めし」や横川・軽井沢駅での機関車の連結開放風景ももありますが、
いちばんは特急「あさま」に乗ったときの、空気ばねをパンクさせた、ゴツゴツ、ゴロゴロした、トロッコみたいな乗り心地です。
コイルばね装備で無動力の普通列車のほうが静かで乗り心地がいいという、全国的にも珍しい区間でした。
トンネルにこだました機関車「EF63」の音も懐かしいです。